手が届かない高みへの道は…

映画・国宝があまりにも衝撃過ぎて、感想を書きたくて仕方がなくています。
ネタばれ嫌な人はこのまま閉じてください。
映画では凄く似ているけれど、非なる存在が描かれる2人。
同い年で友達のように兄弟のように、芸を競う誰よりも身近な存在、魂の盟友と言ってもいいだろう喜久雄(吉沢亮)と俊介(横浜流星)もしかり。
二人が同等の扱いを受け、同じくらい引き立てられている間はいいが、明らかな差が現れたことで徐々に二人の世界は揺らいでいきます
二人そろった女形は美しい。
鬼気迫る存在感を出すのが女形の人間国宝・万菊。
この人はまさに芸に生き、芸以外を求めなかったのだろうと言うのが映画の後半に場末の安宿で一人の老人として最期を待つ姿で描かれて、ドキッとしてしまう。
「歌舞伎がうまくなりたい。それ以外は何もいらない」と悪魔に取引を持ち掛ける喜久雄の最期が見えるかのような姿…
一方で、渡辺謙演じる師匠は役者として、舞台の上で絶命する…
芸を求め、芸に堕ちていき、芸以外の何もない、何もいらないというのは、なんて
幸せなことだろう
と思うのです。
一方で、多くの人たちの気持ちを踏みにじって、どんなに犠牲にして、不幸にして来ても…
だから、芸をやめることも出来なくなってしまうし、自分の命までも捧げる姿には、
芸道は神ではなく、悪魔が作った
といっても言い過ぎではないのでしょう





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