本の紹介 目の見えない白鳥さんとアートを見に行く
全盲の美術鑑賞者白鳥さんと著者、著者妹、著者友人がアートを見に行くルポ。
目の見えない人がどうやって美術を鑑賞するのか?とそもそもの疑問が湧く。
よくよく考えると美術鑑賞は目の見える人向け、音楽鑑賞は耳が聞こえる人向けの趣味嗜好に基づいた行動なんだなぁ、と思う。
白鳥さんって何がスゴイって、チャットやメールの漢字も間違いなく選ぶんだとか!
どうやっているんだろう?
見えていたって、読めない、ちゃんと選べない、ってよくあることなのに…
白鳥さんの場合は、目の前の芸術作品を説明してもらい、鑑賞する。
白鳥さんに説明をする著者と同行者の言葉で、1人だと一方的な見方しかできないことを知る。
同行者が自分と違う見方をしていると知って、「あれ?あれ?」と混乱しながら作品の説明をするが、そんな同行者たちの混乱が、白鳥さんにはすこぶる面白いようだ。
混乱するほど示唆に富んだ作品とも言えるだろうし、新たな発見が人の見方だけでなく、考え方や世界を豊かにしてくれるのだろう。
作品を知らずに話だけ聞いているとどんな絵なのかひどく混乱してしまうが、実際イメージした絵と実物が大きくかけ離れている時、なるほどなぁと白鳥さんと自分の世界との差に考えてしまう。
白鳥さんと作品を見て行く中で、著者は自分の中に隠れていた偏見や差別にまで気付いてしまう。
その気付いたことに混乱しながらも隠さず向かい合い、深く知ろうとする著者に好感が持てる。
現代アートは作者も同じ時代を生きているせいか、そのメッセージ性がガツンとものすごい勢いで飛んでくる。
美術館や博物館で話をすると注意されてしまうけれど、目隠しをして同行者の言葉で絵を想像するというイベントがあっても面白いのにと思う。
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