ジャーニーは宗教色が強くてなかなか理解が難しい
サウジアラビアと日本の合作アニメーション映画、ジャーニー https://journey.toeiad.co.jp/
では宗教色の強い表現がたくさん出てきます。
その過去の経験から主人公アウスは「私は神に赦されるような人間ではない」と何度も口にする一方で、深い信仰にアウスを導いた寓話についても話されます。
それが
ノアの方舟
です。
他にも神への深い信仰を示す寓話として、
モーセの十戒
も出てきます。
あと一つは「巨人族の国にある高い塔」の話だったので、バベルの塔かなと思っています。
ここで気づくかと思いますが、ノアの方舟もモーセの十戒もバベルの塔の話も全て
旧約聖書
に書かれている話です。
実はいずれの話も
コーラン
に書かれているのです。
ユダヤ教徒はどうやら認めないそうですが、キリスト教もイスラム教もユダヤ教から派生した宗教ですからね。
名称が違っても
同じ神様を信仰している
ことに変わりありません。
作中で紹介される話はいずれも神の啓示を受けたノアやモーセが中心の話ではなく、神の啓示を受けたノアやモーセに従った人々が、
困難に見舞われながらも、どれほどに強く神を畏れ、信じ続けたか
の話です。
ノアやモーセと異なり、神の声を聞いたわけでもなく、啓示を受けたわけでもなく、
神をただただ畏れ信じ続けた人々
です。
よくよく考えれば、その神を信ずる精神力たるや、神の啓示を受けたノアやモーセに勝るものがあります。
作中にノアやモーセに従った人々の話が紹介され、
その人々のように我々も神を強く信じている
とアウスをはじめメッカの人々が戦いに赴いたり、避難しているのです。
映画を見ていて、こう言った宗教的な話が紹介され、
神を信じている
という話になるたびに私は混乱しました。
これらの話を聞いただけでは、
どうして信仰に入れるのか
どうして神への信仰を持ち続けられるのか
全くわからないからです。
そして、さらにわからないのは、劣勢に転じたメッカ軍が、
「最後に勝つのは俺たちだ!」
と常に自信満々なことです。
この戦いの裏で、メッカの近隣の街に援軍を依頼しているわけでもなく、時期的な自然現象が起こる可能性が高いわけでもないのです。
むしろ避難している人々の居場所を敵軍に知られていて、自分たちは劣勢という絶体絶命の状態です。
その状態で出てくる「最後に勝つのは俺たちだ!」という言葉に、
ただただ混乱する
のです。
この映画のエンディングで
神の威光
が示されますが、私には非常に理解し難いものです。
映画に伏線が張られているわけでもなく、非常に唐突です。
唐突すぎるが故に神の威光かもしれません。
どんなに辛い状況においても神様を信じる
↓
神様がその威光を示す
↓
神を畏れ信じる者のみが救われる
こんな構図なのです。
この構図が極まって、
人間が何をしてもしなくても、神を深く信じ、畏れる者のみが救われる
という考えになることも考えられます。
こう言った感覚は多分、長年その文化圏にいないと理解し難いもので、異なる文化圏から見たら、
考えに想いが及ばないもの
なのです。
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