国際結婚はキラキラだけじゃない!山あり!谷あり!闇もある!?

ガーナ人イスラム教徒と国際結婚して日本で、多様性と異文化、多様な価値観に揉まれながら生きる非イスラム教徒の日本人妻のブログ

2/2 僕は犯人を赦すよ、アッラーが赦せというから

“ねえ、ムサさん。私がある日突然誰かに殺されたら、イスラム教的にはどうするの?”


とある日突然投げかけた質問に対し、ムサさんは


“犯人を赦す”


と即答しました
思わず聞き返しました


“赦しちゃうの?”


“うん。アッラーが赦せっていうから。
僕はミナミさんを殺した人を殺してもいいんだ、イスラム教ではね。でもね、アッラーは赦すほうがすばらしいって言うんだ”


という説明でした。



↑↑ 犯人を赦せるのだろうか???



「僕はミナミさんを殺した人を殺してもいいんだ、イスラム教ではね」この部分は同害報復と呼ばれ、イスラム教では「同害報復」が認められているといいます。


「同害報復」でわかりやすい事例は「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典です。
実際には身分に差があると同害報復では済まなかったようですが。


イスラム教布教時代のアラブにはハンムラビ法典のような「報復法」があり、アラブ人をイスラム教に取り込む際にどうしても報復法を入れざるをえなかったといいます。





なので、コーランでは「同害報復」を認めたあとに


被害を受けた分を報復せずに赦す


ことを勧めるんですね。
報復せずに「赦す」と何が起こるかというと、赦した者の現世での罪の償いになると言います。


なので、ムサさんの言った“犯人を赦す”は


コーランの教えに従った


ということになります。
人間は生きているだけで罪を犯す存在なんでしょうかねえ。


報復する権利を「放棄」させ、かつ犯人を「赦す」ことを求めるとは、人間にとったらかなりの苦行ですよ。
神様も人間になかなかのものを求めますね。
だからこそ、罪の償いになるんでしょうけど。


あらゆる不幸に対して、「赦す」ことができたら、この世から争いはなくなるのでしょうか?
きっとこれを考え続けるのが人間として使命なのかもしれません。