国際結婚はキラキラだけじゃない!山あり!谷あり!闇もある!?

ガーナ人イスラム教徒と国際結婚して日本で、多様性と異文化、多様な価値観に揉まれながら生きる非イスラム教徒の日本人妻のブログ

15/21 棄教の判断基準はなんだろう?

イスラム教と言うのは非常に制約の強い宗教として知られています。


棄教=死刑


なんてことは、「あんた、イスラム教のこと何も知らへんやろ!」といいたくなる人だって知っていることもあるのですから。




とは言え、



同じ神を信じている


ことが、よく知らん人でも信じてみようと思う最低限の要素になりうると思います。
もちろん戦争のときだけでなくて、


・商人
・旅人


だって、同じ神を信じているということは少なくとも、相手を信用「してみようと思う」要素になるのだと思うのです。


だから、神様がいくつも名前があっても、


一という存在


であるべきなんですよ。


その中で、「こんな神様、嫌だから、やーめた」となった人がでてきたり、
「自分が信じているのは○○(アッラーの別名)で、アッラーではない」という人が出てきたら、


共同体が瓦解する可能性


が生まれます。
そんな可能性は早々につぶす必要があるのですから、それなりに強い処置が必要になることもあったと思うんですよ。


では、今の時代、「棄教したら死刑」っていうことはあるのでしょうか?
冒頭の私の質問にもつながるのですが、


どういう状況で棄教


って判断されるのでしょうか?