10/21 すべてが抽象的過ぎて
アッラーには99の名前があります。
99の名前の一例として実際に以前のメルマガで紹介したのは以下の名前です。
AS-Salam : 平和をもたらすもの
AL-Latif: もっとも慈悲深きもの
Al-Basit: 広げる者、惜しみなく与える者
Al-Mumit: 死をもたらすもの
Al-Mubdi’ : 創造主
5つの名前を上げましたが、なんとも
抽象的
です。
もちろん、他の94の名前も、抽象的なんですよ。
アッラーにしろ他の名前にしろ、アラビア語の素養のない人たちには固有名詞に聞こえるかもしれませんが、アラビア語の素養があれば、
別々の存在として認識はできない
のではないでしょうか。
日本語で言うとするなら、
「この世界には神様がいて、『全知全能』で、『この世界を作り上げた』『創造主』で、『平和をもたらしてくれる存在』でもあり、『赦しを与えて』もくれる。
『信仰者には望むものはなんでも授け』られるが、『不信仰者には審判を下し』、『復讐する』。『称賛に値する』『全ての支配者』であり、『我々の後援者』であり、『慈悲深く慈愛あつい』お方である」
ということですね。
『』で区切った抽象的表現は99の美名から使わせてもらいました。
こういう言い方をすると、
さすがに、
神様は何人もいるじゃないか!!
と言い難いですね。
抽象的表現ですから、一つの存在である神を形容しているのですよね。
とはいえ、映画のジャーニーの元になった『象の章』の時代って、
実はムハンマドが生まれる前の時代
なんです。
ムハンマドの生まれる前の時代のメッカは、
多神教が存在
していたと言われています。
人間の本質的には多神教が普通なんじゃないの?
と思います。
じゃあ、なんで神様は一人になり、全ての役割を持ってしまっているのか、って気になりますよね。
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