国際結婚はキラキラだけじゃない!山あり!谷あり!闇もある!?

ガーナ人イスラム教徒と国際結婚して日本で、多様性と異文化、多様な価値観に揉まれながら生きる非イスラム教徒の日本人妻のブログ

本の紹介 No.1レディーズ探偵社、本日開業―ミス・ラモツエの事件簿〈1〉

本の紹介

No.1レディーズ探偵社、本日開業―ミス・ラモツエの事件簿〈1〉





アフリカボツワナでただ一人の女探偵、人呼んで「サバンナのミスマープル」。

太めでバツイチで34歳のプレシャス・ラモツェ。

「もはや陽気なイメージしか出てこないが、事件がそんなにあるのだろうか?」と思わせてからの、あらゆる事件がもたらされ、スカッと解決する姿にラモツェ女史の姿がありありと思い浮かべられる。


著者はジンバブエ生まれのスコットランド人なのだが、描写も感覚も一挙手一投足も私が知っているアフリカンのイメージとピタリとハマる。


ラモツェ女史があまりにも魅力的な反面、また、ラモツェ女史の探偵事務所で勤務する秘書の女性が優秀すぎる反面、事件に係る男性たちがダメダメの残念すぎる。


人を騙すわ、女性にたかるわ、モラハラはするわ、片っ端から浮気をするわ、アフリカの男性は、定職を持って、女性を一人に絞れる人がいないのか、と疑いたくなるダメっぷりである。


いやあ、なんていうか、旦那の友達を見てもそういうところはあるんだけどね…


とはいえ、失踪者を探す場合には、「ワニの餌食になったのでは?」、少年がサバンナに消えたときけば「実は呪術の犠牲になったのでは?」とアフリカならでは話題も尽きない。


ゾクっとするような場面にも関わらず、作品を通してカラッと陽気な感じがするのは、ラモツェ女史の人柄とラモツェ女史の愛するサバンナが作品全体を包み込んでいるからなんだろうな、と思う。


個人的には「大富豪の娘」がいい。

大富豪の末娘のあやしいうごきを尾行し、大富豪が心配するようなボーイフレンドがいたわけではなかったけど、ラモツェ女史の愛情が大きいのだ。

最後のどんでん返しとラモツェ女史と大富豪の娘が陽気に笑う姿が想像できるのがいい。


化石ハンター展に行ってきた!

国立科学博物館で開催中の化石ハンター展。

テーマは化石ではなく、化石ハンターという人間。





化石ハンターの先駆け?が日本でクジラの研究をしたロイ・チャップマン・アンドリュースで、今年はアンドリュースがゴビ砂漠へ探検を開始してからちょうど100年なんだそう。

アンドリュースが研究した日本のクジラは残念ながら戦後の混乱で失われてしまったそう… 残念




ゴビ砂漠に出かけた理由はお師匠さんの「哺乳類アジア起源説」を立証するためだったとか!

ゴビ砂漠では次々と恐竜の化石を発掘して、古生物学に重要な化石も発掘されている!

ロマンが溢れる話だわ。


さて、今回の展示の目玉の一つはチベットケサイの生体復元モデル。親子で復元されていて子供のモデルには「チベタン」という名前が…

チベタン親子は今後は世界中で展示されることになるのだろうか?





寒冷環境に適した哺乳類はチベットから各地に出て行ったとされる「アウトオブチベット説」がずいぶん魅力的に感じるのは自分がアジア人だし、まだまだ判明していないことが多いからなんだろうな。

もしくは、最終章までの廊下に飾ってあった乾いたチベットの写真が心を打つものだったからかな?

牛と巡礼者(五体投地)と夜空の写真がよかった。ポストカードがあったら買ったのに(展示の趣旨とは離れているが!)


展示物の多くは科学博物館常設展で見られるけど100年余りのハンターたちを一気に追いかけるスピード感、会場が狭く感じられるくらい詰まった展示でした!



2/2 僕は犯人を赦すよ、アッラーが赦せというから

“ねえ、ムサさん。私がある日突然誰かに殺されたら、イスラム教的にはどうするの?”


とある日突然投げかけた質問に対し、ムサさんは


“犯人を赦す”


と即答しました
思わず聞き返しました


“赦しちゃうの?”


“うん。アッラーが赦せっていうから。
僕はミナミさんを殺した人を殺してもいいんだ、イスラム教ではね。でもね、アッラーは赦すほうがすばらしいって言うんだ”


という説明でした。



↑↑ 犯人を赦せるのだろうか???



「僕はミナミさんを殺した人を殺してもいいんだ、イスラム教ではね」この部分は同害報復と呼ばれ、イスラム教では「同害報復」が認められているといいます。


「同害報復」でわかりやすい事例は「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典です。
実際には身分に差があると同害報復では済まなかったようですが。


イスラム教布教時代のアラブにはハンムラビ法典のような「報復法」があり、アラブ人をイスラム教に取り込む際にどうしても報復法を入れざるをえなかったといいます。





なので、コーランでは「同害報復」を認めたあとに


被害を受けた分を報復せずに赦す


ことを勧めるんですね。
報復せずに「赦す」と何が起こるかというと、赦した者の現世での罪の償いになると言います。


なので、ムサさんの言った“犯人を赦す”は


コーランの教えに従った


ということになります。
人間は生きているだけで罪を犯す存在なんでしょうかねえ。


報復する権利を「放棄」させ、かつ犯人を「赦す」ことを求めるとは、人間にとったらかなりの苦行ですよ。
神様も人間になかなかのものを求めますね。
だからこそ、罪の償いになるんでしょうけど。


あらゆる不幸に対して、「赦す」ことができたら、この世から争いはなくなるのでしょうか?
きっとこれを考え続けるのが人間として使命なのかもしれません。